こんにちは~四柱推命鑑定講師の豪萃(ごうすい)です。メルボルンへ移住したきっかけとなる第6話ですね。
無事に空港でチェックインすることができました。ここから前途多難の移住生活が始まるのだが、ちょっと思い出してほしい…私が出発した日を…
「そうです…2001年9月10日…」
幸か不幸か、初日からお先真っ暗、不安マックスの移住生活が始まるのでした…
メルボルンに到着したのは2001年9月11日!
両親と彼女と涙の別れを成田空港でした後、飛行機の中での寂しい気持ちをグッとこらえ、これから始まる移住生活に意欲を燃やしていた。
約10時間のフライト後、ついにメルボルンへ到着。何か不審者扱いされたらどうしようとドキドキしながらイミグレーションを抜け、無事に税関も通過。
当時、まだ携帯がほとんど普及してなかったので、空港でスマホ片手にwifi拾って交通手段を調べよう!なんてこともできず、「地球の歩き方」片手に空港の外へ。
外に出てみると、バス乗り場とタクシー乗り場があったが、さすがに行き先を見てもどこに連れて行かれるかもわからないバスに乗る勇気もなく、タクシーに乗って街まで向かった。
空港を出ると、さすがオーストラリア…そこにはとてつもない草原が広がっていた。なんだか壮大な気分に浸れるひとときだった…そんな草原を横目に見ながら高速道路を突き進むと、意外にもたくさんのビル群が見えてきた…
メルボルンはオーストラリアで第2の都市!
そう、メルボルンはオーストラリア第2の都市。Cityにはビルが立ち並び、街中にはトラム(路面電車)がたくさん走り、意外と都会だったのだ。
そんな都会のど真ん中で降ろされても右も左も分からない、しかも宿泊先を決めていなかった私は、タクシーの運転手さんに、
と拙い英語でお願いし、とりあえず、Cityから少し外れた寂れた場所に止めてもらった。そう、そこがメルボルンで最初に降り立った場所、「スペンサーストリート駅」の真横だった。そこには貨物列車がたくさん止まっているような、あまり活気のない寂れた駅だった。
今では、「スペンサーストリート駅」も「サザンクロス駅」と名前もカッコいいものに変わり、駅自体もオシャレな駅に様変わりしているが、当時は、まぁ殺風景な場所にある、移住初日には相応しくない不安を煽るような駅だった←当時の心境笑
そこの降車場ようなところで、スーツケースと私がポツンと立ちすくみ、今度は「地球の歩き方」を開いて宿探しだった。初日からバックパッカーに止まる勇気もなく、とりあえずホテルを探してみた。
City内のホテルは高かったので、F1が開催される公園で有名なアルバートパークの横にあるホテルに宿泊することにした。
ここでも、ホテルまで行くのに公共交通機関を使う余裕もなく、またまたタクシーで移動。そのホテルの名前は忘れたが、着いた瞬間にホッとしたのを鮮明に覚えている。
長旅の末、ついにホテルに到着!
家から出発した時間を考えると、ほぼ丸1日かけてこのホテルに到着…
不安やドキドキの中、ようやく辿りついたホテル。早く部屋に入り、ゆっくりしたかったのに、チェックインする際、泊まりたい旨を伝えると、クレジットカードを出せとのこと…
と、ホテルのチェックインでクレジットカードが必要なことなど「地球の歩き方」には載ってるわけもなく、焦りまくった…
ぐらいのヤケクソな気持ちでクレジットカードを出したのを覚えている…
もちろん無事チェックイン笑 でも、当時はちょっとしたことでビクビクしながらすぐに不安になっていた。今思い起こせば、この緊張感は、
「常に新しい体験をしている!」
ということ。毎日がドキドキの連続だったから、ホントに今までにないかけがえのない経験をしていたんだと思う。
チェックインした後は、少し余裕が出てきたのか、すでに何かを達成したかの如く悠々と夕方のメルボルンの町外れを散策…
移住初日に何を食べたかは全く記憶にないが、早々と部屋に戻り、ベッドで横になっていた…ただ、まだ興奮しているのか、なかなか寝ることもできず、ふとテレビをつけてみた…
すると、そのブラウン管の中から、映画と見間違えるほどの「衝撃映像」が飛び込んできた…
そう、その日は、
「2001年9月11日 同時多発テロが起こった日だった…」
続く…